デルポトロのキャリアを振り返る会

みなさんこんにちは。

正式な引退会見こそありませんが、事実上の引退宣言をしたデルポトロ。度重なる怪我に苦しみながらも、BIG4に立ち向かった選手として多くのテニスファンに愛されました。今となっては身長2mクラスの選手も普通になりつつありますが、10年以上前では2mクラスというとほぼビッグサーバーに限られていたような時代です。デルポトロはそんな高身長でありながらも、ストロークメインで戦う「動ける巨人」という貴重な選手でした(逆に身長の割にサーブは強くないですが・・・)。

そして何より、自身の代名詞であり、その威力をミサイルに例えられるフォアハンドが最大の武器です。たとえBIG4であっても、デルポトロにしっかり構えられてフォアを打たれたらお手上げです。デルポトロのフォアのすごいところは「単なる馬鹿打ちではない」という点です。単にフォアの最高速度だけで言えば匹敵する選手がいないわけではありませんが、デルポトロのフォアは速くて威力があるのに、それに反してUEの数が異常に少ないです。普通の選手にとってはウィナー級のフォアを平気で2回、3回と続けて打ってくるので、1回目は耐えられても2回目、3回目まで耐えられる選手はBIG4の中でもナダルジョコビッチぐらいです(あくまで耐えるだけ)。

今回はそんなデルポトロの記録・スタッツなどを眺めながら、デルポトロのキャリアを振り返っていこうと思います。なお、デルポトロのキャリアの始めの頃についてはリアルタイムで観ていないので、ウィキペディアに大分依存してます(話の骨組みの仕方として)。

デルポトロの主な実績

 ・世界ランク最高3位

 ・2009年全米優勝

 ・ロンドン五輪銅メダル

 ・リオ五輪銀メダル

 ・2016年デビスカップ優勝

デルポトロの実績の中で一番注目されるのは、やはり2009年の全米優勝でしょう。「1回のGSでフェデラーナダルの2枚抜きを史上初めて達成」し、「2005年全仏~2013年全米までのGS35大会中唯一の非BIG4の優勝」という偉業はもっと評価されるべきだと思います。また五輪のメダルについては、2回ともジョコビッチを倒してのメダル獲得となっています(ジョコビッチのメダル絶対阻止するマン)。詳細な実績については後ほど触れていきます。

Career W/L

デルポトロのキャリアW/Lと勝率は以下のようになります。Overallの勝率と±1.5%以内の差の勝率の項目を黄色で塗りつぶしています。

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Career Win/Loss

通算勝率は71.7%歴代22位です(2022/2/16時点。以下の勝率も全て2022/2/16時点の数字)。現役選手だけに限ればナダル(83.2%)、ジョコビッチ(83.2%)、フェデラー(82.0%)、マレー(76.2%)に次ぐ5位です。ちなみに6位以降はメドベージェフ(69.6%)、ズベレフ(69.0%)、ラオニッチ(68.0%)、錦織(67.1%)、チチパス(66.9%)、ツォンガ(66.7%)です。同時代を過ごしたフェレールは66.1%、ベルディヒは65.2%です。また、同じGSタイトルホルダーのチリッチは64.3%、ワウリンカは63.3%、ティエムは65.1%です。年齢や怪我のせいで他の選手と比べると不利な部分も多いですが、BIG4時代を過ごした選手の中では、実力的にはBIG4に最も対抗することのできた選手だと個人的には思います。

対トップ10勝率は53-78で40.5%ですが、対BIG4の20-53を除くと33-25で56.9%となり、BIG4以外の対トップ10には勝ち越しということになります(これはデルポトロと対戦した時のBIG4がトップ10であるという前提での話になりますが、ざっと確認した限りではこの前提で問題ないと思います)。

個人的に今回最も注目すべき部分だと考えているのは、サーフェス別の勝率の差が極めて小さい(最高と最低の差がたったの2.1%)という点です。私が調べた限りでは、通算勝率60%以上の選手の中で最もサーフェス別の勝率の差が小さい選手はデルポトロです。よくどのサーフェスでも安定して強いと言われるジョコビッチですが、ジョコビッチですらここまで差が小さくはありません。参考までにジョコビッチの数字を並べると、トータル83.2%、クレー80.4%、グラス85.0%、ハード84.3%なので、最高のグラスと最低のクレーの差は4.6%です。ジョコビッチの4.6%という数字はフェデラーナダルはもちろん、他の歴代選手と比べても最上位の数値となりますが、デルポトロの数値はそれを上回っています。もちろんジョコビッチの方がトータル勝率が10%以上高いなので、強さという点も考えれば、ジョコビッチが最もバランス型としてふさわしいとは思います。ただ、どのサーフェスでも同じぐらい勝てるという点については、デルポトロが歴代1位だと思います。

ちなみに、サーフェスに限らずインドア/アウトドアの勝率差は0.9%、対右利き/左利きの勝率差に至っては0.1%ということで、デルポトロはあらゆる面で極めて安定した選手であると言えます。この事実はもっと広く知られるべきだと思いますし、デルポトロのこの安定性はもっと評価されるべきだと思います。なお対左利き勝率は61-24で71.8%ですが、対ナダルの6-12を除くと55-12で82.1%となり、10%ほど勝率が上がります。

年別W/L

デルポトロのキャリアW/Lと勝率は以下のようになります。キャリア平均以上の勝率を黄色で塗りつぶしています。

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年別勝率

プロ転向は2003年、GS初出場は2006年です。

2008年はシュツットガルトで初優勝してから、キッツビュール、ロサンゼルス、ワシントンと4大会連続で優勝し一気にブレークします。シュツットガルトから全米QFでマレーに敗れるまで、デルポトロは23連勝しました。こうした活躍もあり、年末にはマスターズカップに初出場します(残念ながらRR敗退)。

2009年は全豪QFと全仏SFでフェデラーに敗れるも全米ではついにリベンジを果たしてGS初優勝。冒頭でも述べたように、この全米は「1回のGSでフェデラーナダルの2枚抜きを史上初めて達成」し、「2005年全仏~2013年全米までのGS35大会中唯一の非BIG4の優勝」という偉業です。アルゼンチン男子選手としては、ビラス以来32年ぶりの全米優勝です。前年に引き続き出場した最終戦(この年からツアーファイナルズ)ではRRと準決勝を突破して決勝に進出するも、ダビデンコに敗れ準優勝でした。2009年当時のデルポトロは、ジョコビッチ、マレー、ソダーリン、ダビデンコらとともに、4年以上続いていたフェデラーナダル2強時代を変えると期待されていた選手の一人だったようです。特にこの頃はジョコビッチやマレー以上に期待されていたらしいので、その後の「怪我さえなければ・・・」という思いが強いです。

2010年はついにその怪我に襲われます。全豪4Rで敗退以降、手首の怪我により長期離脱し、5月に右手首の手術を受けます。9月と10月に大会には出場したものの、どちらも初戦敗退に終わり、それ以降2010年の出場はありませんでした。

2011年は2月のデルレイビーチで復帰後初優勝。5月のエストリルでの優勝と合わせて優勝は2回でしたが、1年を通してコンスタントに試合に出続けた結果、最終的にランキングは11位にまで戻り、カムバック賞を獲得しました。

2012年はロンドン五輪SFで死闘の末にフェデラーに敗北(6-3, 6-7, 17-19)しましたが、3位決定戦でジョコビッチに勝ち銅メダルを獲得します。全米では4Rでロディック引退試合を戦いました。ビッグタイトルこそないものの、この年は年間勝利数(65勝)と年間勝率(79.3%)がキャリアハイを記録しました。

2013年はインディアンウェルズでマレー、ジョコビッチに勝って決勝に進出するも決勝でナダルに敗れ準優勝、ウィンブルドンSFでジョコビッチに敗れベスト4、上海でSFでナダルに勝つも決勝でジョコビッチに敗れ準優勝といったように、同一大会でのBIG4との連戦によってビッグタイトルに手が届かない1年でした。

2014年はドバイで怪我をし、3月に左手首の手術を受けて以降は試合に出場せずに終わります。年始には5位だったランキングも、年末には137位にまで下降。翌2015年にシドニーで復帰したものの、全豪を欠場して痛みを取り除く手術を受けます。マイアミで復帰するも初戦敗退となって以降は試合には出ず、6月に3回目の左手首の手術を受けています。2015年末にはとうとう世界ランク590位にまで下がりました。

2016年はデルレイビーチで復帰。手首の状態を見ながら無理をせずに試合に出ていきます。世界ランク141位で迎えたリオ五輪では初戦でいきなりジョコビッチとの対戦となり、ジョコビッチの金メダルの野望を阻止します(デルポトロ爆弾)。デルポトロのミサイルフォアがあまりにも炸裂していたので、さすがのジョコビッチもデルポトロのフォアに相当ビビっていたのが印象的です。この時ばかりはさすがにジョコビッチが気の毒に思えましたね・・・。さらにSFでは怪我が完治していない状態で強行出場していたナダルとフルセットの死闘を繰り広げた末、勝利して決勝へと進出。決勝ではマレーに敗れて金メダルとはならなかったものの、同一大会でBIG4を2枚抜きしての銀メダルという非常に価値のあるものとなりました。9月のデビスカップSFではリオ五輪のリベンジを果たしてマレーに勝利すると、11月のデビスカップ決勝ではクロアチアに勝利し、アルゼンチンのデビスカップ初優勝に大きく貢献しました。2016年は最終的に世界ランク38位にまで上昇し、2回目のカムバック賞を受賞しました。

2017年は全米QFでフェデラーに勝つも、SFでナダルに敗れリオ五輪のリベンジをされます。最終的には世界ランク11位にまで戻りました。

2018年は年初のオークランドで準優勝し、2014年8月以来となるトップ10に復帰します。アカプルコではティエム(当時6位)、ズベレフ(当時5位)、アンダーソン(当時8位)といったランキング上ではデルポトロよりも上位の選手に勝って優勝。インディアンウェルズでは決勝でフェデラーに勝利してみごとMS初優勝。2009年全米以来となるビッグタイトルです。続くマイアミでもSF、さらに全仏でもSFと結果を残したことで、全仏後にはキャリアハイとなる世界ランク4位にまで上昇。カナダの後にはさらにキャリアハイを更新して3位になります。全米では直近3連敗(17全米、18全仏、18ウィンブルドン)だったナダルが試合途中に棄権したことで9年ぶりに決勝に進出しますが、ジョコビッチに敗れて惜しくも二度目の優勝とはなりませんでした。世界ランクでキャリアハイを更新するなどここまではよかった2018年でしたが、上海で右膝蓋骨を骨折します。今となっては、この怪我がデルポトロの選手生命に致命的な一撃となってしまいました

2019年は年初は膝の治療に専念し、クレーシーズンから本格的に復帰します。しかしグラスシーズンに入ってからクイーンズで足を滑らせ、上海で骨折した右膝蓋骨を再び骨折してしまいます。以降は何度手術しても痛みが消えず、日常生活でも苦しむことになります。

そして2022年、ついにその時がやってきてしまいました。

(機械翻訳)フアン・マルティン・デル・ポトロは、TyC Sportsのアルゼンチンオープンに参加したことについて、「おそらく、復帰というよりは別れだ」と語った。

事実上の引退試合宣言です。2年8か月ぶりの試合となったアルゼンチンOPは1回戦で盟友のデルボニスと対戦し1-6、3-6で敗戦。最後のサービスゲームでは涙を拭う姿も見られました。フェレールもそうでしたが、バンダナを巻いている選手が引退試合後にバンダナをコートに置いていく姿は格好いいですね・・・。

(機械翻訳)今日は終止符です。今は自分の人生、日常生活のために膝の世話をしなければなりません。しかし、今夜の経験は忘れられないので、テニスの窓を開けたままにしておきます。今日が私の最後のゲーム、私は幸せを残しています。

キャリアタイトル

クレーで4個、アウトドアハードで11個、インドアハードで7個の計22個です。ビッグタイトルとしては2009年の全米と2018年のインディアンウェルズの2個です。デルポトロの実力からすればもっとビッグタイトルを取れるだけのものは持っていたとは思いますが、BIG4時代とモロ被りしてしまう年齢であったということと、自身の怪我の2つが大きく響いているなあと思います。また、グラスでもクレーやハードと変わらない勝率を誇ることを考えると、グラスでのタイトルが1個もないというのは意外でした(決勝すら1回もない)。

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獲得タイトル

キャリアスタッツ

グラスはサービススタッツがやや高めに、クレーはやや低めに出るということや、リターンスタッツはその逆になるということは、デルポトロに限らず極めて一般的なことです。ただ、それを考慮してもやはりデルポトロの「どのサーフェスでも安定して戦える」という強みは数字にも表れていると思います。

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Stats

ランキング推移

2010年4月に初めて4位に、1回目の怪我から戻ってきて2014年に再び4位に、さらに2回目の怪我から戻ってきて2018年には3位になっています。さすがに怪我から戻ってくる度に1位に戻ってくるナダルほどではないにしても、復帰するたびにトップ4まで戻ってくるというのはすごいことです(大抵の選手は1回怪我したら二度とキャリアハイレベルに戻ってこられませんし・・・)。

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ランキング推移(2007年以降)

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ランキング推移(10位以内)(2007年以降)

対BIG4

最後に対BIG4での数字を見ていきます。まずは大会のグレード別でのW/Lです。

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対BIG4(グレード別)

五輪とデビスカップでBIG4に勝ち越しています。五輪についてはロンドンで1-1(ジョコビッチ/フェデラー)、リオで2-1(ジョコビッチナダル/マレー)となっており、特に対ジョコビッチについては五輪で負けなしです(ついでにメダルも阻止)。デビスカップについては2011年にジョコビッチに、2016年にマレーに勝っていますが、2011年にナダルに敗れています。こう見ると、国を背負った時のデルポトロは強いという印象です。実際、五輪は10-2(83.3%)、デビスカップは15-4(78.9%)と通算勝率よりも高いです。あと、マスターズカップとツアーファイナルズでフェデラーに勝ち越しています(勝ちは2009年と2012年、負けは2013年)。

続いてサーフェス別のW/Lです。

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対BIG4(サーフェス別)

意外なことに、グラスとクレーでは2-19(9.5%)で大幅負け越しです。ハードだと18-34(34.6%)で、大体3回に1回は勝っていることになります。先ほども触れたように、デルポトロはサーフェス別の勝率はほとんど差がないぐらい安定していますが、対BIG4については露骨にサーフェスごとの相性が出ています。個別に見ると、グラスはジョコビッチと1-1の五分、ハードはナダルに勝ち越しです。・・・まあハードナダルについては2016年のリオ五輪(怪我が完治していない状態での強行出場)と2018年の全米(試合途中リタイア)の怪我でもらった2勝のおかげ感はありますが。

続いて年別のW/Lです。

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対BIG4(年別)

2009年はナダルに勝ち越し、2016年はトータルで勝ち越しです。2016年はリオ五輪だけで2-1です。

最後に、対BIG4について他の選手との比較です。

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対BIG4(他選手との比較)

*レーバーカップ除く

デルポトロと(大体)同世代以上は白、若い世代はグレーで色分けしています。同世代以上では対BIG4の勝率でトップです。特に若い頃のBIG4との対戦でも複数回勝っているという点がすごいです。BIG4が30歳を超えてからの対戦がほとんどである若手と比べると数字だけでの比較では不利ですが、時代背景も考えたら数字以上の価値があります。あと、こう見るとツォンガも結構すごいですね。ツォンガの場合はデルポトロも成し遂げていないBIG4の3枚抜きを達成しているので、瞬間最大風速で言えばデルポトロ以上かもしれません。

 

というわけで、デルポトロのキャリアについて色々な観点から振り返ってみました。最後の話とも被りますが、今の若手はデルポトロが若かった頃(GSやMSのSF以上でほぼ確実に全盛期レベルのBIG4との2連戦になる)と比べたら随分と恵まれています。30代中盤の衰え切ったBIG4、しかもここ数年はナダルジョコビッチのほぼ2人しかいないような状況で、どちらか一方に勝てばビッグタイトルを取れるようなことすらあります。そんな時代にGS決勝以外でちょっと2人に勝ったぐらいで調子に乗っている若手らに対して、デルポトロには長年BIG4に立ち向かい続けた選手の代表として、お灸をすえる意味でミサイルフォアをお見舞いして若手らの鼻をへし折ってやってほしいと思っていましたが、それは叶わぬ願いとなってしまいました。我々にできることは、デルポトロという選手の生涯を後世に伝えていくことぐらいしかないので、しっかりと伝えていきたいところです。

最後になりますが、デルポトロ、お疲れさまでした。